
紙芝居「春」
紙芝居「春」が出来上がりました。
内容は東日本大震災で実際に起こったことを聞き取りをして作った作品です。震災の被害は津波、倒壊、原発事故、病気など・・・一人一人違っていてひとくくりにはできないことをいろいろお話を聞いたり、本を読んだりすると実感してきました。
その中で、私が8年前に「なぜ・・・???」と思ったことから交流を持つようになった家族さん達のことを、広く知らない人たちにも知って欲しいと思うようになっていきました。
8年前、偶然、京都のひとまち交流館にて、印刷をしていました。すると、隣の印刷機で「茨城県から来た」と言う親子さんが印刷されていました。恥ずかしながら「茨城県ってどこ???」「なぜ???」って。話を聞き始めました。すると、「福島の原発事故で茨城県も放射能が飛んできて、線量の高いところが出てきて、家の側溝なども線量が高く、親戚を頼ってとりあえず子ども3人と京都に来た」と。私はその出会いから、茨城県がどこにあってからはじまり、原発事故のことなど調べたり、彼女やその関係で知り合った他の避難されてきた親子さんからいろいろ話を聞いたり、教えてもらってきました。
その中で、避難されているのは福島だけじゃないということをたくさんの人に知って欲しいと思うようになってきました。
でも、避難されている状況も日々変化され、どんな形で表現したらいいか・・・と心の片隅にありました。
いろいろ考えて紙芝居でやってみようと考えました。
そこで関西に避難されていますお母さんに当時の様子などを文章にして送っていただきました。彼女にとって、その作業は当時のしんどかったことを思い出すとってもしんどい作業だったと思い、書いてもらってよかったのか、今でも、複雑な気持ちになります。
書いていただいてからも、なかなか具体的に構想できなくて、1年以上そのままでした。
このままではあかん。と思っていた時に「ほっこりまったり人形劇場」を開くことになり、そこで来てくださった子ども達にもわかりやすいいようなものがあれば。と、やっぱり作ろう。と、紙芝居を作り始めました。紙芝居の内容は文章を書いていただいたお母さんを中心に、他のお母さんからのエピソードや、より細かい話も入れて構成しました。
でも、下絵を考えていくうちに、私のつたない絵画能力では避難されていますみなさんに失礼だと思うようになり、ちゃんとデッサンのでき、相談ができ、今回の紙芝居の絵にぴったりの人に依頼することにしました。普段西陣織の帯の手織り職人をしていますMIKIさんに頼んでみました。
仕事をしながら休みの日に少しづつ作ってくれました。
そして、避難されてきていますHさんに監修していただき、この紙芝居でなにが大切かを再度見つめ直し、つけたしたりしながら、作っていきました。
この紙芝居は震災から7年後8年後の今のことを描いています。きっとこれから、10年20年とたったときは後半はまた違うものになっているかもしれません。
監修していただいたHさんは、ご自身もしんどい中で、我が子のこともだけど、やっぱり日本中世界中の子ども達が同じ思いをしてはいけないと言う思いで、紙芝居の監修も引き受けてくださいました。それはすごいことだと思います。Hさんの思いに答えるためにも大切に大切に上演していきたいと思います。


内容は東日本大震災で実際に起こったことを聞き取りをして作った作品です。震災の被害は津波、倒壊、原発事故、病気など・・・一人一人違っていてひとくくりにはできないことをいろいろお話を聞いたり、本を読んだりすると実感してきました。
その中で、私が8年前に「なぜ・・・???」と思ったことから交流を持つようになった家族さん達のことを、広く知らない人たちにも知って欲しいと思うようになっていきました。
8年前、偶然、京都のひとまち交流館にて、印刷をしていました。すると、隣の印刷機で「茨城県から来た」と言う親子さんが印刷されていました。恥ずかしながら「茨城県ってどこ???」「なぜ???」って。話を聞き始めました。すると、「福島の原発事故で茨城県も放射能が飛んできて、線量の高いところが出てきて、家の側溝なども線量が高く、親戚を頼ってとりあえず子ども3人と京都に来た」と。私はその出会いから、茨城県がどこにあってからはじまり、原発事故のことなど調べたり、彼女やその関係で知り合った他の避難されてきた親子さんからいろいろ話を聞いたり、教えてもらってきました。
その中で、避難されているのは福島だけじゃないということをたくさんの人に知って欲しいと思うようになってきました。
でも、避難されている状況も日々変化され、どんな形で表現したらいいか・・・と心の片隅にありました。
いろいろ考えて紙芝居でやってみようと考えました。
そこで関西に避難されていますお母さんに当時の様子などを文章にして送っていただきました。彼女にとって、その作業は当時のしんどかったことを思い出すとってもしんどい作業だったと思い、書いてもらってよかったのか、今でも、複雑な気持ちになります。
書いていただいてからも、なかなか具体的に構想できなくて、1年以上そのままでした。
このままではあかん。と思っていた時に「ほっこりまったり人形劇場」を開くことになり、そこで来てくださった子ども達にもわかりやすいいようなものがあれば。と、やっぱり作ろう。と、紙芝居を作り始めました。紙芝居の内容は文章を書いていただいたお母さんを中心に、他のお母さんからのエピソードや、より細かい話も入れて構成しました。
でも、下絵を考えていくうちに、私のつたない絵画能力では避難されていますみなさんに失礼だと思うようになり、ちゃんとデッサンのでき、相談ができ、今回の紙芝居の絵にぴったりの人に依頼することにしました。普段西陣織の帯の手織り職人をしていますMIKIさんに頼んでみました。
仕事をしながら休みの日に少しづつ作ってくれました。
そして、避難されてきていますHさんに監修していただき、この紙芝居でなにが大切かを再度見つめ直し、つけたしたりしながら、作っていきました。
この紙芝居は震災から7年後8年後の今のことを描いています。きっとこれから、10年20年とたったときは後半はまた違うものになっているかもしれません。
監修していただいたHさんは、ご自身もしんどい中で、我が子のこともだけど、やっぱり日本中世界中の子ども達が同じ思いをしてはいけないと言う思いで、紙芝居の監修も引き受けてくださいました。それはすごいことだと思います。Hさんの思いに答えるためにも大切に大切に上演していきたいと思います。



スポンサーサイト